『クレヨンしんちゃん』の生成変化
石岡:ここは昔、彼がやっていた文学研究の成果が活かされているパートですね。谷崎潤一郎論、尾崎翠論をラマールは手掛けているからこそ、アニメのメディウム・スペシフィシティにとらわれない。あと、個人的な関心として、44頁で言われているブライアン・ロートマンの本って面白そうですね。Becoming Beside Ourselves: The Alphabet, Ghosts, and Distributed Human Being(2008年)、です。”Distributed Human Being”なんかは、配信される人間、あるいは放送される人間、ともとれる表現で、『ペルソナ4』を彷彿とさせますね。「ペルソナ」が個人に備わっていて、それをどんどん覚醒させ、拡大させていく。ところで、そこにはテレビの深夜放送に侵入することが契機となっている。つまり、メディアを通じて配信される身体性が描かれている。VTuber論とか、2.5次元論とかもこの射程にあるでしょうね。
米原:私はその点について、村上裕一さんの『ゴーストの条件』を想起しました。日本でこの著作の重要性がほとんど認識されていないのも、メディア論的な蓄積があまりないからなのかな、と。ラマールの論述に従うと、ブライアン・ロートマンは良い補助線になりそうですよね。
白江:ロートマンは、昔「ブライアン・ロトマン」表記で『ゼロの記号論』が訳された人ですよね。これ以外に訳されていないんだけど、この人の現在形の著作をラマールが取り上げている。少し話飛びますけど、『ゼロの記号論』は、初期から中期の柄谷の仕事をワイリー・サイファーやロザリー・L・コリーなどを参照してアメリカの人文書風土でやったバージョンに私には見えてましたね。遠近法における消失点を、柄谷なら「起源は事後的に見出される」とデリダを念頭に置きながら一点突破していたんだけど、もう少し補助線をたくさん作りながらやっていました。数学を学んだ人で、過去の主要業績も集合論に関するものですね。思想もやれる、セオリーも読めるっていう面白い人だったと思う。『果てなし⋯⋯チュー二ングマシンの中のゴースト(Ad Infinitum… The Ghost in Turing’s Machine)』(1993年)って本も書いてますね。ここからBecoming Beside Ourselvesへ繋がっていったのかもしれない。なんにせよ、日本語で読めるこの手のものはほとんどないので、ラマールの思考の背景を探るのが難しい。
石岡:それとは逆の事態というか、ラマールがアニメに詳しすぎて変な眼利きをしているとこは、すこし笑ってしまいますよね。マイナーなアニメも入っている。115頁の図とか。
