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結社クリナーメン読書会『アニメ・エコロジー』第1回(5)

結社クリナーメン読書会『アニメ・エコロジー』第1回(5)

どうしてテレビアニメについて語るのに特撮の話をするのか

凡例: トーマス・ラマール『アニメ・エコロジー』からの引用はすべて( )の中に頁数のみ表記しています。

白江:そうすると、ラマールがしんちゃん論とかでは、映画第9作目『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)を褒める筋立てがよくあるわけだけど、ラマールはそうしないで、第18作目『クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁』を使ってくるのもなかなか巧みですね。さっきも大人になったしんちゃんの話を巡って風刺と子ども向けアニメみたいな話をしましたが、この道化師たるしんちゃんの未来って何なの?、という問いに向き合う。「それはただのエディブス的な物語の再生産なのかどうか」の問いを立て、いや、そう見えるけどよく見たらそうじゃないんだっていうクリティカルなところをまず浮かび上がらせるの。キッズものである以上、大人と子供というコンフリクトの問題が絶対出てくるけど、父殺しがどうとかといったただのエディプス・コンプレックスの話ではない。あと、あくまでもしんちゃんはキッズもののジャンルの中での工夫だから、その域を越えて、キッズじゃない形で道化の問題をやり続けたらどうなるんだろうというのが気になりましたね。

石岡:『ペルソナ4』とかもラマールが取り上げているのは1つの回答としてなのかもしれません。物語は権力の腐敗に対する風刺をシリアスにやっていく、という見立てもできます。そこで、子どもたちが自警団を担い、大人というか、超越的な存在の不正を暴く。あと、サードプレイスで相互ケアもしている。

白江:作品を構成しているパラメーターを抽出して、ちょっと内部の数値や度合いを変えるとしんちゃんシリーズも『名探偵コナン』になる。思ったのは、スーパーマン論とカートゥーン論がラマールによる『クレヨンしんちゃん』論の背後にある参照文脈だとして、おそらく『名探偵コナン』論の背後にあるのは『シャーロック・ホームズ』と『バットマン』に関する議論だなと思いましたね。つまり、探偵と自警団をめぐる諸問題。

米原:なるほど、『バットマン』はヒーローものではありますが、基本的には自警してる探偵ですよね。コナンも犯人を見つけてサッカーボールでしばき倒してるわけですが、バットマン的な自警行為をしていると見立てることができる。つまり、『ペルソナ4』は英語圏における探偵ジャンルの枠組みからの延長で見ることができるかもしれないですね。では、話を元に戻すと、259頁からですかね。

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