ニューメディアからポケモンショックへ
凡例: トーマス・ラマール『アニメ・エコロジー』からの引用はすべて( )の中に頁数のみ表記しています。
白江:1985年つくば万博、NTT主導のキャプテンシステム、CATV(ケーブルテレビ)の動きをこれまで語ってもらったんですが、この時代、つまり80年代から90年代というのは、郵政省と通産省が中心となって政策文書で「高度情報化社会」が政策目標として挙げられた時期で、マスメディアや公式的な標語としては「高度情報化社会」が飛び交っていたんです。他方、通信・放送・家電メーカーのマーケティング部門や広告代理店、ビジネス誌が取り上げる場合は「ニューメディア」の標語が採用されていました。また、もう少し広くカルチャーや表現、クリエイターと関わる意味合いだと「マルチメディア社会」と呼ばれる傾向がありました。こうした、「高度情報化社会」「ニューメディア」「マルチメディア社会」といったキーワードは、実際にはかなり重なり合っていて、いまではインターネット以前の電子ネットワークをめぐる語彙の集合としてひとまとめに見えると思います。そして、ボードリヤールの「シミュラークル」「ハイパーリアル」概念などを介して、「ポストモダン」はこれらワードの人文版のような面も持っていた。ただし、「ニューメディア」をはじめとする語句には、歴史や近代、主体の終焉といった終焉言説の特徴は無いので、ニュアンスは多少違うのですが。
なお、90年代後半の日本では、ニューメディアという言葉はあまり聞かれなくなっていき、マルチメディアや「電子化」「デジタル」に置き換わっていったように思います。そのあとでインターネットが完全に普及し、光景が変わったときに、かつての語彙は入れ替わってしまっていた。さっき石岡さんが言っていた、マノヴィッチのタイトルが日本では古い言葉の復活として受け止められていたというのは、そういう経緯で起きたんですね。
このなかで見ると、浅田彰がICCと雑誌『InterCommunication』に関与したり、当時メディアアート作品を積極的に語っていたのは、官民が主導する政策的・産業的な制度に対して別の軸を出すというふうに捉えられる。当時の浅田が監修したシンポジウム記録書籍には『マルチメディア社会と変容する文化』(NTT出版、1997年)もありますね。それだけではなく、この時期の浅田の仕事――『フォーサイス1999』(NTT出版、1999年)、坂本龍一のオペラ「LIFE」へのコミット(1999年)、『ゴダールの映画史』上映プロジェクトの推進(2000年)――は、そうしたメディアアートや複合状況の制作志向で共通している。とすると、一見して浅田彰のような好みとは全く違うけれども、『.hack』のPS3&Blu-rayのハイブリッドメディアが「ゲームプレイ・コンプレックス」で取り上げられている流れはそれを踏まえているのでしょうね。ラマールは挙げていませんが、ゲーム版『serial experiments lain』(PIONEER LDC、1998年)にはスタッフがICCの展示作品を見てインターフェースの参考にしたといった逸話もありますし、実際には後のインターネット美学やゲームデザインとの接点があった。
石岡:ちなみに私は『ユリイカ』の安倍吉俊特集で書いたことがあるんですが、それはゲーム版『serial experiments lain』や『灰羽連盟』をはじめとする作品の世界設計をイラストの仕事から捉え直すものでした。
白江:もはや映画だから、ゲームだから、というふうにメディアの特性に由来して複合状況が語られるのではなく、イラストがその次の仕事として見出されるようなアプローチになっている。
